何のサイトなのか?
管理人こと私、紫藤はるか他が暇を弄んでいた挙句に作りだした創作物や、よくわからないメモ、用途不明のネジ、オイル切れのライター、友達がいないから書いた痩せた猫の絵、駅前に置いておいたら盗まれてしまった自転車のスペアキーのようなものが色々とごちゃごちゃに入った、学習机の引き出しみたいな創作サイト。
なぜこんなサイトを作ってしまったのか?
【注意】以下の文章はあなたの貴重な時間を損ねるおそれがあります。
近年、TwitterやFacebookなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やウェブログ等のネットサービスが成長・多様化を続ける一方、「この程度のネタならTwitterでつぶやけばいいや」「こういう写真はFBに貼るのが楽ね!」というように、生命活動をしている個人サイトの数は減ってきている。私自身、「あー、このサイトの××さん、Twitter始めたんだ―。フォローフォロー」→「このサイト、全然息してない……」ということを何度か経験している。SNSの利点というのはやはり「狭くて広い世界」と「提供の容易さ・早さ」だと思っている。自分の好きな範囲の相手に、手軽に情報を発信できる時代。今時、HTMLやCSSを切り貼りして、わざわざ誰のためでもなく、ストリーキングの如く不特定多数の通行人に自らの痴態や性癖を垂れ流す酔狂な人間など、きっとごくわずかになってしまっているのである。
だがしかし。
だがしかしである。本当にそれでいいのだろうか。
SNSなどで産まれたもの(その大小は問わず)は、気軽に作られたからこそ、簡単に消せてしまうのではないだろうか。アカウントを消せばすっかり消失してしまう人間関係やコンテンツ。例えどんなクソミソでゴミで三角コーナーの間に挟まった腐りかけのニンジンの皮のようなクズなものでも、自ら産まれたものをそう簡単に消してしまっていいのだろうか。なんらかの形で供養して、出来る限り残してやるべきではないのか。
そう、これは自慰行為もいいところである。それは重々自覚している。
だが、それの何が悪いのだろうか。『裏入口』だとかドラッグ反転とか、あとなんか、こう、キラキラがマウスポインタを追う
たしかにSNSは口笛吹きながらネタを投稿し、相手からのレスポンスや評価も早く、かの自己顕示欲的なアレを満たしてくれる。その点は素晴らしいと思う。しかしそれにあぐらをかいていていいのだろうか。……この実もない頭の悪い長文を書いていて「別にSNSでもいいんじゃないかな」という気もしてきたが、あえて好き勝手やれるけど、更新も面倒くさいし誰も見てくれなさそうだし目的も不明瞭なこのサイトを作ったのだ。
そしてこのサイトにあるどうしようもないコンテンツから、たったひとつでも笑いのようなものが取れれば私は嬉しいし、それはそれでこのサイトという自己顕示欲のお化けも成仏できるというものだ。だから当然、携帯電話どころかスマホにすら対応してない。
――2013年6月某日 実家でタバコを吸いながら
紫藤はるか
あ、そういえばFBやってます☆(ゝω・)vキャピ