先に『人格形成の過程を明確に表した作品』と書いたが、クリアした人ならわかるであろうネミッサのことである。
本作は意思を持たないマニトゥの中にあった『死のアルマ(要するに『女性像』)』であるネミッサの成長の物語だ。
彼女は登場(或いは誕生)当初は、ワガママで、自身の一人称が『ネミッサ』という、いわゆる『子供』的な精神の持ち主だった。
しかしスプーキーズのメンバーたちと触れ合うことで人間的に成長し、やがて自身の一人称が『あたし』に変わるのは、一番わかりやすい演出だと思う。
さきほど『アルマ』という言葉が出たので、少し精神分析学的な話をしてみる。
彼女の成長とは、アイデンティティの確立、ということでもある。
自身の役割を受け入れ、始めは自分本位だった彼女が、他人を慈しみ、思いやりの心を持つ。
彼女の誕生のロジックの細かいところは正直よくわからないが、とまれボーイ・ミーツ・ガール的ストーリーラインという点ではよく出来た成長譚である。
(ちなみにレッドマンやマニトゥはネイティブ・アメリカンのあたりの話だとは思うのだけど正直よくわからん)
またこの『成長』というテーマは主要登場人物であるスプーキーズのメンバーたちにも当てはまる。彼等は言ってしまえばマージナルマン(児童期と青年期の不安定な位置にいるひとたち)である。シックスの幼少期のトラウマ(フロイトのいう『抑圧』)、ランチの父親との確執(『合理化』)、ユーイチの無力感(『補償』)……思春期の子供が抱える、大人になることで忘れ去ってしまう(または切り捨ててしまった)問題を、無駄なくテンポ良く並べたストーリー。同時にその対比として、VQでの(当時の)主人公からすれば圧倒的な力を持つ大人たち(ウラベ・ユダ・ナオミ)の『敗北』、そしてフィネガン、スプーキーというある種、社会に囚われた「天井の見えてしまった大人たち」の限界を痛切なまでに描く。
(スプーキーに関しては、門倉に対しての劣等感からスプーキーズを立ち上げたという、フロイトのいうところの『置き換え』でもある)
主人公たちマージナルマンは、無力ながらも(主人公はサマナーだがストーリー上では特別強いわけではないし、ヒトミはネミッサありき、スプーキーズのメンバーは言わずもがな悪魔には無力だがハッキングや破壊行為といったことサポートする)、ある信念の為だけに命をかけ、持てる力を最大限に活用し彼らは大人たちを超える。それは何かに囚われて、だからではなく確執やトラウマを乗り越えた先の、『未来』を守る為だ。囚われていないからこそ、無謀なこともやってのける。『少年少女たち』という記号にはそういう物語性がある。エンディングで彼等はそれぞれの道を歩み始める。このソウルハッカーズでの事件は(やや過剰ではあるが)『大人への通過儀礼』であった、とも言える。
そんなメッセージを、ソウルハッカーズというゲームに込めているのではないかと思う。それは紛うことなき成長譚。OPムービーのスプーキーズが全員で歩いているシーン。このシーンは本編をやったあとではまた違った印象を持てるのではないだろうか。