10.生まれる前
「ほら、わたしたち、前世でもそうだったじゃない。お兄ちゃん?」
スパゲティの巻き付いたフォークを皿に置きながら、綾姫は微笑んだ。紫藤はまたかと内心、舌打ちをした。
お兄ちゃん、といってももちろん綾姫は妹なんかではない。単なる高校時代からの同級生だ。紫藤には妹どころか、家族もいない。
綾姫がいうには、紫藤は前世では双子の兄妹の関係だったらしい。名前は正一郎と由良。血縁関係だったためにふたりは結ばれることが叶わず、来世で一緒になろうと約束し心中した……とのことだ。
馬鹿馬鹿しい、むしろ逆ではないか。心中した男女が双子として生まれるのではなかったか。紫藤は鼻で笑ったが、綾姫は本気でそう思っているらしかった。
「それでお兄ちゃん、いいかな?」
「ん、ごめん、聞いてなかった」
「もう……お兄ちゃんは本当にダメね」
お腹を抱えながら、綾姫は頬を膨らませて怒っていることをアピールする。紫藤が綾姫と別れない理由は、綾姫が単純に可愛いのと、金持ちだという二点に尽きる。絶世の美女、という感じではない。草原に座り花冠を編む妖精――つまりは西洋人形のような美少女といったところだ。十人とすれ違えばまず十人が振り向くだろう点は、絶世の美女と変わらない。このいささか白痴じみた性格さえ我慢すれば、綾姫の身体もすべて紫藤のものなのだ。彼女の祖父は有名企業の社長らしいのだが、結婚するつもりはない。どちらも味わえるだけ味わい、捨ててしまおう。
「ごめん、えっと何の話だっけ」
紫藤が訊くと、綾姫はお腹をさすりながら微笑む。
「お腹のなかのあかちゃんの名前だよ」
紫藤は持っていたスプーンを取り落とした。あかちゃんだって? 心当たりは、当然ある。
「この双子のあかちゃんの名前。正一郎と由良にしようと思うの」
紫藤は耳鳴りがした。
綾姫の言葉が蘇る。正一郎と由良の双子。紫藤には家族はいない。事故で死んだのだ。綾姫はどうだったか。祖父の話はよくきくが、両親の話は聞いたことがない。彼女の両親は……?
「ね、いいでしょ?」
綾姫の、純粋な笑みの前に、紫藤は何も言うことができなくなった。
……紫藤は死ぬことを決意した。
――これがぼく、紫藤正一郎と妹の由良が生まれる前のお話。ぼくの父は、ぼくが生まれる前に死んだ。きっと、そういうことなのだろう。先日、母が死ぬ間際に話してくれた。
ぼくの隣には、やはり死に際の母と同じような笑顔で由良が座っている。白痴じみた笑顔を浮かべている。きっと、そういうことなのだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。双子のあかちゃんの名前、決めたの。綾姫と――」
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