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『SPEC結 漸ノ篇/爻ノ篇』を見て

《2013-12-07》   

 先日、SPEC結 漸ノ篇/爻ノ篇をぶっ続けで見てきた。内容はここで特に語ることはせずおいておくとして、なんだかとても懐かしい気持ちにさせられた。
 それは十数年前にケイゾクを、そしてケイゾク劇場版を見たときの、虚無感にも似た、けれどひとつの歴史に区切りがついたような清々しさだ。寂しさと達成感がないまぜになった、そんな感情。
 SPEC結 爻ノ篇の評価については賛否が分かれるだろう。私としては「ケイゾクでアレやられたんだからもうなんでもこい」という気持ちだったので満足であった。まあ、納得行かないというか、大風呂敷を広げすぎという意見もわからないでもない。でも、私はあれで満足なのだ。
 小説を読み始めたのも、ケイゾクが放送していたちょうどその頃。角川ホラー文庫から出ていたケイゾクのノベライズを読んだり、影響を受けて今より更に拙い文章で刑事バディ物の文章を書いてみたりと、いまの私の基礎を形成している要素はこのあたりにあったと言ってもいいだろう。
 SPECの結末は、ケイゾクを見た当時の私が書きたかったこと、いまの私が文章を書いていて表したかったこと、そしてこれからも書きたいことを、形こそ違えど表現してくれた。かつて見た美しい夢Beautiful Dreamを、再演してくれた彼らに拍手と愛を。




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