君と、
プレイヤーに恋した彼女の物語。
二者択一、一度きりの物語。
本作の構造は作中で語られていること以上に解説する必要のあることはあまりなくて、『プレイヤー自身がこれをプレイしてどう思ったか・感じたか』ということが肝心なのだと思う。
私は美雪エンドしか見ていない。
というのも、事前情報からちょくちょくバックアップはとってあったが、作中でも記されている通り、それを使うのが彼女らへの裏切りだと感じたからだ。
感情移入。「たかがゲーム」と客観視するのは、それはそれでいいとは思う。できないことは、無理にする必要はない。
ただ、本作が「プレイヤーへ向けたアプローチ」である以上、ある程度の主観的感情を抱いた方が楽しめる、というだけの話だ。どれだけ感情移入できたか(主人公に、ではなく『物語』に入れたか)で、本作の評価は大きく割れる。
で、本作はそのプレイヤーの『物語』への取り込みの工夫がよくなされている。
一般的『ギャルゲ』の報われたヒロイン・報われなかったヒロイン(すなわち『固有ルート』)の構図、周回プレイの意味、そしてバグやメタ、選択肢の演出。プレイヤーの記憶やメタ情報を外部記憶装置として扱うことで、(半ば強引に)視点者を主人公から『君』にすり替える。その手法はかなり慎重だった。
(もっとも、美雪がプレイヤーを好きになる動機が乏しい気がする点や、女性プレイヤーを端から除外してしまっている点など、物語からの要請上仕方ないとはいえ気にはなりはするけども)
そして、そういった意味では、本作の『恋』の客観的な成就は、決してあり得ない。
文字通り、『君(=プレイヤー)』と彼女らは次元が違う。
二者択一のエンディングは、主観的成就だが、同時に客観的失恋でもある。
りんご飴が好きで、
グレープフルーツが嫌いで、
得意料理がシュウマイで、
決め球がシュートで、
化学が苦手で、
テニスが嫌いで、
リンゴの匂いが好きで、
大統領になりたかった美雪は、どこにもいない。そもそも存在しない。
すべては主観、ただの感傷である。
シナリオライターの言葉に、スクリプトの通りに動いてるヒロインの影を、自分の中で好きなように解釈して思いを馳せているに過ぎない。そんな本作はシナリオの性質上『自身の心の揺れ』を写し出す鏡だと言える。ある種の自慰行為的でもある。その鏡に写った自身の感情の揺れを楽しめるか否か、それが本作の肝であると私は思う。
例えばもし、初めてこのゲームを私が18の時にやっていたら……あるいは、40の時にやっていたら……また別の『物語』として残った――あるいは残らないかもしれない――だろう。
だが、そもそも、そのIFなど存在しえない。
そういった意味で、このゲームは『今、プレイした私』唯一のものであり、代替の効かない物語だ。