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PC「ゴア・スクリーミング・ショウ」(ブラックサイク)

《2014-02-07》   
[ADV]

 結構前にプレイしたのだけど、このタイミングであえて感想を。

注意以下、『ゴア・スクリーミング・ショウ』の全ルートのネタバレを含みます。ご注意ください。





この世の50.78%は怒りで出来ています。残りの44.2%は憎しみで出来ていて、さらにその残り4.493%は糞尿です。
そしてさらに、0.246%が反吐、0.182%が空腹で出来ています。

 ブラックサイクの「ゴア・スクリーミング・ショウ」の前半三人のシナリオ(あかね・葵・希衣佳)のハッピーエンドは、それぞれの少女の心の負い目(或いはトラウマ)を乗り越えるという、成長譚として描かれている。
 あかねの場合、幼少期に主人公と共に負った性行為へのトラウマ、葵はあかねに対する怒りとそれを表に出すことの出来ない抑制、希衣佳は自身が『汚い』と思っていること。それらを乗り越えることが、それぞれの攻略ルートへと繋がることになる。
 さいたま闇子ルートに関しては、物語からの要請(ユカが残虐な殺人鬼となったことの説明)という意味合いが強く、さいたま闇子が過去の罪を認め、ユカから石を半ば強引に引き剥がすという、実は誰も救済されず「停滞」しただけどいう、『成長』の部分がないルートだといえる。
 そして最後に現れる『紫ルート』。これこそが「ゴア・スクリーミング・ショウ」という作品において、唯一の『主人公と紫、二人の成長』を扱ったルートであるとも言える。
 なによりも自分自身が「汚い」と言ってのける紫(故に早由海に似ている、という理由以上に「自身に似ている」という理由で殊更希衣佳に強く当たっているようにも思える)。彼女に好意的な反応をした恭司は「唯一の光」にして「温かいもの」だった。
 自分しか存在しない世界を作るまでに自己嫌悪にまみれた紫の闇を溶かし、石の暴走を無効化した恭司。だがそれでは足りないと恭司は紫を追うために成長する。
 三人娘のシナリオを見ると一見、オカルティック・ホラーゲーやグロゲーの立ち位置に存在する作品だが、実際はいかにも真っ当な自己の理想の実現の難しさ、登場人物(由規と闇子を除く。紫を含めた子供の)の成長物語としての側面が強く見えてくるから不思議だ。

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