baselineMemo/Archive/2014_04





???「○○さん、知ってますか……? 四つ葉のクローバーは、傷ついて出来るんですよ……?」


《2014-04-29》   





『可能性』を愛する

例えば、夜のマンションを外から見る。カーテン越しの淡い光の集合体。中は伺いしれない。私はベランダで煙草を吹かしながら、それをぼうっと眺めている。
その規則的に並んだ灯りの集合体。そのひとつひとつに、小さな世界が存在していると思うと、なんとも愉快な気分にさせてくれる。

あの薄いオレンジ色のカーテンの部屋は、一人暮らしの女性の部屋。入社二年目で、ようやく職場にも慣れてきたところ。大学時代からの彼氏とは、少し疎遠になってしまっているものの、二週間に一度はデートをして、土曜日にはどちらかの家に泊まって過ごしている。
あの青いカーテンは、大学三年生の男子の部屋。彼女はいないし、夢も特にない。友達は少なくないが、親友と言えるほどの人間関係も構築してない。高校時代になんとなく買ったエレキギターを時々弾くくらいで、特筆すべき趣味もない。それでも、自分は何かができる、いつか何かのチャンスがくると、漠然とした未来予想をしながら、今日もパソコンでインターネットのニュースを見たり、SNSに書き込みをしたりしている。
あの暗い色のカーテンで妙にぼやけた部屋は、四人家族の部屋。上の娘は十八歳、下の息子は十五歳。母は近所のコンビニで昼のパートに出ている。家族間の会話は決して多くない。子どもたちの思春期特有の「もやもや」とした何かが、家族の会話を減らしている。夫婦はなんとなく危機感を覚えつつも、実害が無いから何もできず、会話の少ない食卓はきっと昨日も、明日も、変わりない。

すべて妄想、例えばの話。可能性の話だ。だけどそこには、私の見たことのない世界が押し込められているのだ。マンションという建築物は歪つだ。あらゆる普遍的世界が、ひとつの建物に押し込められていて、それでも壊れることなく今日も黙って屹立している。

彼の浮気を見つけてしまったが為に男を殺害してしまった彼女は、部屋のベランダから身を投げた。位置エネルギーは容赦なく、彼女の身体を打ち砕く。
特別でないという現実に追い詰められた青年は、ドアノブに縄をかけて、首を括った。彼の叫びに気づくまで、いったいどれだけの時間がかかるのだろう。
娘は家に帰らなくなり、息子は匿名の誰かの何かを代弁するように、ゴルフクラブを振るった。そして部屋に火をつけた。その行為に意味なんてないのかもしれない。

これはそう、すべて妄想の話。もしもの物語。あるかもしれないという可能性。
そんな可能性を抱えた歪な塔は、今夜も規則正しく灯りを灯している。私はそんな景色に、人々の幸せと安寧を祈るふりをしながら、煙草を灰皿にすり潰した。

《2014-04-21》   





こころが脆い彼女は週一回、片道三十分を歩いて病院に通っていた。待合室できっかり四十五分待たされた挙句、五分の面談を経て簡単に出される処方箋。抗鬱剤に精神安定剤と睡眠導入剤。錠数で言えば一日どのくらいになるのだろう。彼女は薬を飲むときに水の入ったグラスをふたつ用意しているから、きっとそう少ない量ではなかったはずだった。
「もう慣れちゃった」と疲れたような顔で微笑む彼女は、ベッドに入ってからもなかなか寝入ることができず、ぶつぶつとひとりごとを呟いていた。
僕は彼女の薬をこっそりと拝借して、インターネットの検索サイトに薬剤の名前を打ち込んだ。彼女の処方されている薬は弱いものなんかでは決してなく、更にその量も少ないものではなかった。
彼女のことだから……ひとのことを尽く信用しない彼女のことだから、医師にも真意は伝えてなかったのだろう。故に薬の効果が出ていないと判断され、薬がまた増える。その繰り返しだった。
暗澹とした気持ちで僕は彼女に問いかけた。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」と、間髪入れず、問の内容も訊かず、彼女はそう言って笑った。

一日の大半を寝て過ごしていた彼女は、そのとき見る夢についてこう語った。
「夢の世界では、わたしはたくさんのわたしがいる。どれもこれも、どこかで見たことがあるような風景だけど、途方もなく懐かしくて、たくさんのわたしはみんな、泣いてしまいそうになる。あのときああすれば、こういう景色に辿りつけてたかもしれない。こうしておけば、辿りつけてたかもしれない。でも、いまのわたしには無理だということを知っているから、泣いてしまいそうになるのかもしれない」と、そういつものように微笑んで語った。
その微笑みは……否、彼女の微笑みはすべて、傷と疵の裏返しだということを、僕は知っていた。彼女は笑えば笑うほど、その天邪鬼な彼女のこころは大きく傷ついていることを、僕は知りながら目を背けていたのだ。
なぜなら怖かったからに他ならない。僕自身も決して強い人間ではない。物語の主人公のように、他人を背負えるような器は持っていない。だから彼女の笑みを額面通り――都合よく――受け取り、誤魔化して生きていた。彼女も、それがわかっていて『微笑む』という行為で僕に接していてくれたのだと思う。

彼女の死から二年が経った。死に目も見なかったし、親族で行われた小さな葬式にも、もちろん出なかった。僕は彼女から逃げるようにアパートを引き払い、実家に帰った。

彼女のことを忘れかけていた、二年目の夏のことだった。実家に僕宛の郵便物が届いた。届け主は彼女の母親だった。僕は一瞬開けるのを躊躇ったが、震える手で小さな箱を開けた。中には小さく整った字で、彼女の遺言でこの荷物を届けてほしいとあったこと、僕の住所を調べるのに時間がかかってしまったということが書かれた手紙と、小さな紙袋が入っていた。紙袋の中には、たくさんの睡眠薬が入っていた。彼女の本心はわからない。恨んでいたのかもしれない。ただ、エゴであることが許されるのならば、これはきっと僕へ宛てた彼女なりの「生きることへの餞別」であって欲しいと、初めて一粒だけ涙を落とした。

僕は彼女の故郷へ向かう電車に乗った。駅前の花屋で小さな花を買い、地図を頼りになんとか墓地を見つけた。珍しい名字だったので、すぐに目的のものは見つかった。墓石には、彼女の名前とその短い生涯を表す数字が書かれていた。僕はそっと花束を置いて、その場を後にした。手は、合わせられななかった。
墓地からの帰り道、田んぼを貫く線路の上を、夕陽に染まった少女が歩いているのが見えた。長い夢を見に行った彼女もいま、この景色を見ているのかもしれない。僕はポケットから煙草を取り出し、背中を丸めて火をつけた。

《2014-04-13》   





面白そうなフリーゲームのレビューを見つけて、いざDLしようとサイトを覗くと楽天やInfoseekのトップに飛ばされるようなそんな虚無感に、諸行無常を感じた。

サイトの消失が無くとも、更新履歴が数年前で止まってるサイトには、それ以上の切なさを感じる。2009で止まってるならまだいい(それでも5年前であるという事実が、SNSの隆盛をひしひしと感じるが)。2004年や前世紀で止まっているサイトすら見ると、複雑な気分になる。
インターネット・サイトの奥の顔。彼(或いは彼女)らのことは何も知らなくて、サイトの閉鎖の理由もわからない。社会人になったりと環境の変化や、飽きてしまった、という理由であるのかもしれない。そして、もしかしたら、その作者は既にこの世に存在していないのかもしれない。
飽きたり、その他の理由からサイトの更新が停止するのは、実はSNSでも本質は変わらなくて、ある時期から言葉が途切れる人を見ることがある。それでも、インターネット上に残されたサイトの廃屋に迷い込むのと、それらSNSでの停止した人を見るのとでは、なにか違ったものがあるように感じる。
自己の過剰な肥大から形成された(一から十まで自分で作られたような)個人サイトは、一見生をさらけ出しやすそうなSNSよりも、直のそのひと自身に触れている、という気がする。この一方通行の接触行為は単なる錯覚だったり、感傷みたいなものなのかも知れないが、私はそんな印象を受ける。
多くの人は場所を変え、手段を変え、己を発信し続けてるんじゃないかとは思う。それでも……その場所が肌に合わない人間は、きっと、少なくともいるんだろうと思う。

自身のフィールドでしか発信できなかったひとたち。そんな心の仄暗さを、私は愛してやまない。故に私は、廃墟サイトを巡るのを止めることができない。

《2014-04-12》   



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