baselineMemo/Archive/2013_12


 私は三度、死に近づいたことがある。
 一度目は小学六年生の、雪の舞う風の冷たい季節だった。当時の私は何か急ぎの用事があり、急いでいた。信号が青に変わったのを確認し走ったとき、右側から怒号のような音が聴こえ、私は足を止めた。次の瞬間、除雪したあとの雪を運ぶトラックが目の前を掠めていった。信号無視だ。私がそう思ったのも、掠った小指の痛みに気づいたのも、トラックの背後が既に小さくなったあとであった。
 二度目は大学生の頃。二十歳になったかならないかの、冬の夜だった。あの頃の記憶は小学生の頃よりも靄がかったように曖昧で、上手く思い出すことができない。客観的事実として、刺されたのだ。幸い、大事には至らなかったものの、なんとなく鼻血以外の血を見て「ああ、意外と赤いんだなぁ」と冷めた頭で思ったのは記憶にある。もっとも、その記憶の信頼性に関しては、保証することはできないのだが。
 三度目はとあることから逃避の為の自殺だった。私が生きていることから明白なようにそれは未遂で終わった。これも冬の寒い朝だった。方法はスタンダードな、そして色々な意味で最も手っ取り早いであろう首吊りだった。その選択はいささか確信犯的なものではあったが、血液が止まり唇が分厚くなるような感覚はよく覚えている。
 私は三度、死に手が届きそうなところまで近づいた。その経験から学んだことは案外あっけなく、「そんなものか」というものだった。事故。他殺。自殺。薄皮一枚剥いだところに、死は潜在している。さして特別なものではない、生きるのと同じ程度に存在しているのだ。
 冬が来ると、雪を踏む足音に紛れて「次はどうしてやろうか」と、誰かのにやりとする声が聞こえる気がする。
《2013-12-16》   




 最近、よく異形の女の子の出てくる夢を見る。
 一昨日は着物を着た黒髪の少女の幽霊の夢。彼女が生前住んでいた古い日本家屋の中に、僕とその幽霊の女の子が並んで立っている。そう歳を重ねたように思えない主人がお茶を一人分、持ってきてくれた。僕は複雑な気分になりながら、彼に「彼女の部屋を見せてください」とお願いした。彼は嫌そうな顔もせずに立ち上がり、僕――と、少女――を、彼女の部屋へと案内してくれた。そこは伽藍洞の和室だった。「彼女のものはなにもないんですか?」と僕が尋ねると、主人は「……妻が、全て捨ててしまったのです」と顔を伏せていった。少女の幽霊は、彼女の断片を何も感じない部屋を眺めて、悲しそうな顔をして僕の服の袖をぎゅっと握ってみせた。もちろん、感触なんてものは存在しない。僕は何とかしなければ、そう思った。
 ここで『彼女』と僕の夢は終わる。
 昨日は吸血鬼の少女の夢。彼女は僕の妹で、吸血鬼――厳密にいうならば、感染性の『血液以外のものを口にすることが出来ない病』らしい――にかかっていた。僕と妹は、何かから逃げるように、学校を飛び出し、知らない町のしらないアパートに身を寄せることになった。妹は飢えていた。でも、その病を他人に感染すことを頑なに拒んだ。日に日に虚ろになっていく彼女の瞳を見て、僕は妹に自らの血液を与えようとした。でもそれはもう日常に戻れないということを意味していた。
 ここで『彼女』と僕の夢は終わる。

 断片的で曖昧な記憶なため、幾つか合理的に修正している部分はある。だが、それが大まかな流れだった。共通することは『日常からの不可逆的脱却』だ。きっと、幽霊の彼女に入れ込めば、僕は戻ってこれなくなるし、吸血鬼の妹に血を与えれば僕も同じく夢の住人になる。
 その直前で目覚めたのは幸か不幸か、自身を保つために無意識が施した自衛作用か。だけど、「彼女らを救えなかった」というとてつもない喪失感に襲われている。冬の痛い風を感じて、僕のできることはやはり一つしかないのだと再確認した。
 彼女らを、なんらかの形でこの世に再現させる。それは文章かもしれないし、絵かもしれない。でも、僕は彼女らの幸せを願ってしかたがないのだ。

《2013-12-02》   



ページのトップへ戻る