baselineMemo/Archive/2013_11


「ご覧なさい……」彼女が指差すまでもなく、僕らの周りには足の踏み場もなく、数々のイラストが散らばっている。「これがあなた達の罪」
 あるものは光り輝いていた頃を忘れまいとするようにきらびやかな衣装に身を包み――これはアイドルのイラスト、また別のものはいかにも強そうで幻想的な肉体を黒く瞬かせている――これはドラゴンだ……。
「こ、これは――」
 僕は逡巡する。そのイラスト群には見覚えが合った。見覚えどころか、愛着すら――
「貴方に、それを想う資格があって?」
 彼女が、僕の思案を遮っていう。僕は下唇を噛んで黙っていることしか出来ない。彼女の言葉が、まさにその通りだったからだ。僕に……僕らに、それを言及し追想する権利は、ない。
「――時は流れ行くもの」
 突然、彼女は歌を紡ぐようにつぶやきはじめた。
「――でも、そんな世界の中でも――あなただけは、彼女を愛してあげられていたはずじゃなくて?」
 彼女が指差す先には、白いもやのようなものがあった。
 僕が目を凝らすと、辺りのイラストデータから細かく白い粒子が剥離し、白いもやに集まっていく。そしてそれは次第に、人の姿を形作っていた。始めは大雑把に。だが、少し見ているとディティールが分かるようになってきた。
 分かるようになったからこそ、解ってしまった。そこに産まれた白いもや――《少女》が誰なのか、を。
「ち、え……」
「それ以上はダメよ」
 そういって、彼女はその幅広のマントで僕の視界を覆った。白いもやの少女は、見えなくなった。
「なぜダメなんだ……? 僕には……彼女に会う権利が」
「ないわ」
 彼女はそうきっぱりと言い切った。あまりの切れ筋に、なんと言われたのかわからないくらいに、きっぱりと。
「貴方に、あの子に会う権利はないといっているの」
「だけど……彼女は……僕のプロデュースしていた……アイドル…………」
 彼女は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「『僕のプロデュースしていた』……過去形なのね」
 僕は僕の過ちにようやく気づく。それは馬鹿にされるのもしかたのないことだった。僕は膝から崩れ落ちた。
「……違うんだ……忙しくて、日に日にサイトを開く時間が減っていった! システムの仕様変更にも疑問視していた! たしかに、触れなくなったのは僕のせいだ。……でも、僕だけのせいでもないはずだ!」
「そうね」彼女はそういって少し悲しげな顔をした。「でも、貴女があの子たちを捨てたのは事実でしょう?」
 僕は反論できなかった。提督になっていないだけマシだと、そう言い訳もしようと思えば出来た。だが、それはしなかった。単に『忙しさ』のベクトルが僕とは違うだけなのだ。どちらも彼女たちを見捨てたのには――飽きたのには、何一つ違いない。それに理由をつけていただけだったのだから。
「そうさ……飽きたことに言い訳をして、別のものについていった……それは、事実……」
 僕は足元を見つめる。数多くのイラストデータ群。これらは結局、0と1の集合体で、実際の金銭価値があるかすらあやしい。……これらはすべて、忘れ去られたまま放置されたソーシャルゲームのデータの残骸たちなのか。
 なるほどよく目を凝らしてみると、きらびやかな衣装のアイドルはどこか時代遅れの人形を思い出させ、また強そうなドラゴンも、なんだか質の悪いソフビの怪獣めいていた。まるで忘れられた観光地の秘宝館。そんなグロテスクさを思い出させる。
「あなた達が『なかったこと』にしてきた彼ら・彼女らが、この《ディラックの海》には漂っているわ――また主が来てくれると信じて、それだけを信じて――」
 その時、かすかながらにマントの奥から少女の声が聞こえた。
「……デューサーさん」
 少女が呼んでいる。僕は目の前にいる彼女を押しのけ、少女の元へと走り寄る。
「プロデューサー、さん?」
 目の前にいた少女は、まさしく僕がプロデュースしていた少女だった。
「ちえ、り……」
 僕が少女の名前を呼ぶと、少女は少し恥ずかしそうな顔をした。
「やっと、来てくれましたね」
 少女にそう言わせてしまったことへの罪悪感と、後ろめたさで僕は顔を伏せていることしか出来ない。
「……沢山、楽しいことがありましたね、プロデューサーさん」
 僕は何も答えられない。
「……一緒に京都に行った時。バレンタインデーイベントのこと……みんなみんな、楽しかった思い出です」
 僕はやはり、何も答えられない。答える為の解と権利がないのだ。
 俯いたままでいると、僕の頬に温かいものが触れた。気がした。0と1の間の温度。あり得ない感覚。
「……プロデューサーと一緒に走った人生は決して嘘ではありません」
 そうだ。
 そうだ、あの時のあの僕らの情熱だとか、喜びや悲しみは、決して嘘ではなかったはずだ――。
「これから会えなくなるのは寂しいですけれど……プロデューサーは自分の道を歩んでください。それでも時々、私のことを思い出してくれたら、嬉しいな」
 僕が顔を上げた時にはもう、少女の姿も、頬のぬくもりも、何もかもがなくなっていた。
 広がっていたのは、見知った天井。自分の部屋のベッドの上だった。
 ……夢を見ていたらしい。僕はパソコンをつけると、ワードプロセッサを立ち上げる。
 構想は何も考えていない。大枠すら考えてない。だが、登場人物の名前だけは決まっていた。

 ――緒方智絵里。

 一生懸命に生きた架空の少女を、僕が動かそう。そう思った。
《2013-11-30》   

【コメント】
お薬を飲んだ直後に書いたらしく、文章が雑。
《2013-11-30》   



 僕がアダルトビデオを見るとき、いやでも同時に想起する記憶がある。僕は別にAVについて語りたいわけではない。ただ単に、この他人から見れば雨に濡れた雑誌の切れ端のような記憶の断片が、いつか自身の頭の中で掠れて読めなくなってしまう前にどこかに残して置きたかっただけなのだ。

 レンタルした『制服素人ナンパ 3』というアダルトビデオに出ていた亜美ちゃん(18)が高校時代に片思いしていた一歳下の後輩の女の子だと気づいたのは、僕が二十二歳の大学生の夏だった。ジャケット写真の黒ベタの下に隠されていた瞳は、四年前となんら変わらずにカメラを見て微笑んでいる。記憶の中の彼女はブレザーを着てベクトルの問題を軽々解いていたけれど、ソファに座り「数学が苦手です」と口元を隠して笑う亜美ちゃん(18)はなぜか、どこの学校かも知らないセーラー服を着ていた。僕は「嘘つけ」と独りごち、リモコンの早送りボタンを押す。十六倍速で行われる行為はなんともいえない滑稽さで、僕の中の後輩の姿を狡猾にすり替えていった。「先輩、馬鹿みたいですね」とお腹を抱えて笑う記憶の彼女は、ブラウン管の中でシーツを握って苦しそうに喘いでいる。左右の大きさが少し違う目が好きだった。悪い歯並びを隠すように笑う仕草が好きだった。僕は生まれて初めて、笑うのに失敗した。
 僕はコンビニで子ども用の花火セットを買い、レンタルビデオ屋に『制服素人ナンパ 3』を返した。レンタルビデオ屋の若い女性店員の視線は、憐憫と苦笑に満ちていた。死人のような顔で子ども用の花火セットをぶら下げる僕は、さぞかし道化じみていたことだろう。まるで花火セット片手にお盆に帰ってきた助平なお父さんの幽霊だ。そんな妄想を無表情でしたままビデオ屋を出て、僕は河川敷へ向かった。
 夜の水辺で行動するには服装が軽すぎたと後悔しつつも、適当な空き地を探す。程よく草の生えてない場所を見つけると、そこにしゃがみ込み、子ども用の花火セットを開封する。風がなくてよかった。僕は持ち手としてな台紙にゴリラの絵が書かれた花火を剥ぎ取り、ジッポーで火をつける。
 僕が高校二年生のときだ。学園祭の打ち上げで、部活のメンバーで花火をすることになった。二十人以上の部員が集まり、夜の河川敷を色とりどりの光で染めている。部員たちが和気藹々とする中、少し離れたところに女の子がひとり、しゃがんでいた。気づいた僕が「どうしたの?」と訊ねると彼女は「いえ」と言葉を濁す。覗き込むと、彼女の足元には子ども用の花火セットがポツンとあった。彼女は言い訳をするように「家にあったのを持ってきただけです」という。他の部員たちが盛り上がってる方を見ると、彼らの花火は固定式の砲台みたいなやつやら、複数発の筒のようなものばかりで遊んでいる。そんな彼らに混じって、子ども用の花火セットを持ち出すのが恥ずかしいのだろう。
 正直にいうと僕はこの時、彼女の名前を覚えていなかったし、顔を見ても「そういえば一年生でいたなぁ」と思うくらいで、部員の中でも特に目立たない女の子だった。
 僕は彼女の花火セットの袋を破く。「僕さ、子どもの頃、これをよく弟と奪い合っててさ。ひとつのセットにひとつしか入ってないから」花火セットの真ん中に添えられた、台紙にキリンの絵が書かれた花火。「よく考えたらアホだよな。これ、他の花火より短いし、別に取り合う価値もない。でもなんか、これが好きだったんだ」ポケットに入れていたチャッカマンで、先端に火をつける。
「……うちでも、妹と取り合ってましたよ、それ」赤や黄色の光に照らされ、隣に座っている彼女の横顔がよく見えた。「どこでもそうなんですかね」
「そうなんだなぁ……」僕はキリンの頭から吹き出る火花を見つめる。ちらと隣を見ると、彼女もキリンの頭をじっと見つめていた。「……あ、勝手に使ってしまった。ごめん、これやりたかった? えっと……」
「いえ、それは別に構わないんですが」キリンの頭から出る炎は勢いが弱まっていく。「先輩、わたしの名前、覚えてませんね?」
「ごめん、ひとの名前覚えるの苦手でさ」
 わたし目立ちませんから仕方ないです、と彼女は両手を振る。
「×××、×××です。一年生の」
「×××ね。えっと、僕は――」
「知ってますよ。先輩」
 キリンが沈黙し、あたりはまた暗闇に包まれた。僕は変な気分を誤魔化すために立ち上がり、「よし、ふたりであいつらに子ども用の花火セットの恐ろしさを教えにいこうぜ!」と腕を振る。「線香花火をまとめて、火をつけて火炎球にして投げ込んでやるんだ」
「先輩、馬鹿みたいですね」と言葉はきついが、彼女はお腹を抱えて笑った。暗かったけれど、僕はたしかに彼女の笑顔を見た。隠した口元から覗く八重歯が、とても可愛らしいなと思った。
 そこから特に、彼女と進展があったわけではない。何度かデートじみたことはしたけれど、彼女には中学時代から付き合ってるいるという恋人がいたし、彼女が僕を『親しい先輩』以上には見ていないということが、嫌というほどわかっただけだった。僕の気持ちや感情の葛藤を除けば、なんてことはない。良い先輩と後輩という関係のまま、僕は卒業式を迎えた。卒業のときに彼女からもらった「これからも頑張ってください」という旨の手紙は、いまも机の引き出しの中にひっそりと隠されている。妻に見つかると面倒なので、めったに取り出さないが、仕舞っている場所はちゃんと思い出せる。もらったときの、嬉しかったやら、悲しかったやらの複雑な気持ちを、今でも思い出せるのと同じように。
 ただ、後輩の彼女について殊更、記憶に残っているエピソードがある。春だったか秋だったか、妙に寒い夜のことだった。あれは部活の帰りだったはずで、僕と彼女は並んで時間をとうに過ぎたバスを待っていた。本当に寒い夜で、僕が手を擦っていると、彼女が「手、繋ぎますか」といってきた。手の温度は共有され、彼女の手も冷たかったから、寒さはあまり変わらなかったはずだけれど、とても暖かかった記憶がある。俯いたまま「彼氏にばれたら大変」と彼女が呟いていたが、僕も彼女も手は離さなかった。そんな些細な思い出だ。
 ゴリラの台紙の花火はとっくに命を失い、あたりはひたすらの闇に包まれていた。僕はポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコを咥え火をつける。
 四年間で、僕はタバコを吸うようになったし、車の免許も取った。あの頃、童貞だった僕には彼女が出来たけど、三ヶ月で別れた。ひとを殺す小説を書いたりした。友人を喪ったこともあった。
 亜美ちゃん(18)にも、僕と同じだけの時間が流れていたはずで、同じように色々なことがあっただろう。高校を卒業したあとの彼女が東京の大学へ行ったということを、彼女の同級生から聞いたことがあった。そこから先は、僕の知らない彼女の人生だ。その断片を、たまたま僕は見つけてしまっただけに過ぎない。
 僕の吸うタバコにはキリンの台紙はついてないし、彼女の冷たかった小さな手は知らない男の手を切なそうに握っていた。
 僕は携帯灰皿にタバコを押し潰し、ポケットから携帯電話を取り出す。アドレス帳には、彼女の高校生のようなメール・アドレスがそのまま残っていた。これをこのまま使ってるとしたら相当恥ずかしいぞと苦笑いしつつ、少し悩んで文章を打ち込む。メール・アドレスが変わっていたり、返って来ないかもしれないけれど、話の終わりとしてはそれもいいなと、メール送信ボタンを押した。

 僕はアダルトビデオを見る度に、キリンの台紙やバス停近くの街灯、河原の寒さや、オレンジ色に染まった部室など、まったく関係ないことを想起してしまう。きっとそんな連想が起こってしまうのは、世界を探しても後にも先にも僕だけだろう。だからこの記憶がすり減ったりしてしまう前に、ここに書き残しておこうと思った。
 そしてできることならば。誰でもいい、数パーセントでもいいから僕のこの記憶を共有して欲しかった。そういう彼女がいて、そういう僕がいた。そのことをただ共有して欲しいのだ。他人に自分と同じものを共有して欲しいという欲求は、きっと僕だけでなく誰にでもあるものだと考えている。しかし僕が『彼女の手が冷たかった夜』のことを妻に話すと、「なんでそんな昔のこと覚えてるんですか。忘れてくださいよ」となぜか顔を真っ赤にするので、僕は自説の土台が揺らぐのを感じる。

《2013-11-22》   



ページのトップへ戻る