殺人は単独に限る(仮)


 僕は、スコップに右腕を預けたまま、ぼうっと夜空を見上げていた。
 冬の空は快晴。飛行場が近いのか、飛行機の航空灯が星のように瞬いていた。こんなことになっていなければ、ナイターのスキーには絶好だっただろうと様々な原因に思いを馳せる。
 他の二人の男は、そんな僕の様子を見ても何も言わず作業を進めている。僕ら三人は物置に常備されていたスコップで大きな穴を掘っていた。心許ない懐中電灯の明かりは、降り積もった雪よりも深く、腰まで届くくらいの深い土の穴の底を照らしている。
 遠く離れた新垣の別荘に目をやると、部屋の灯りの中に女性二人が窓から眺めてるのが見えた。後輩である彼女なんかは僕より動けるのになあと、疲れた目つきで見つめてみたが、当然向こうからこちらが見えるわけもない。僕は「男の仕事ですよねぇ」とひとり口の中で呟き、右腕を振りスコップを地面に突き刺す。言い出しっぺなので、参加しないわけにはいかなかった。
 ふたつの死体は、それぞれシーツに包まれて、ただの白い物体となって穴の傍らに並べられている。片方の―― 小さな方の死体からは血が少し染み出して雪を汚していた。男三人、夜の雪の道なき道をやっとのことでここまで運んできたのだった。
 これくらいでいいかな、という大きさの穴を掘り終えた僕らは二つの死体をそこにゆっくりと寝かせた。他のふたりが汗を拭っている隙を見計らって、僕はポケットに入れていた五十センチほどのコードを穴に放り込む。綺麗に断線されたコードはもはや用済みだったからだ。
 そうして一息ついたあと、男三人で穴を埋め始めた。どうしてこうなったかなあ、と僕は深いため息をつきながら作業を進める。

※ ※ ※


 兵糧院幸三郎が山奥にあるこの新垣の別荘を訪れたのは、彼が死体となるおよそ四時間前のことだった。

「いやあ、みごとにスキー場から外れてしまってね」
 スキーウェアを脱いだ自称『探偵』を名乗るその人物は、ソファに座りそうのたまった。二十代後半だろうか、スラリと伸びた足に、品のいいズボンとセーターを着た兵糧院は飄々と言葉を繋げる。
「このまま遭難でもして凍え死んだら、冬を明け人知れず人骨になって、野山の動物たちと仲良しになるところだった」
 百合子の淹れたコーヒーのカップを両手で包むようにして持ちながら、そう快活に笑う。
 リビングにいる他の全員―― 僕こと紫藤はるか、後輩の織嶋綾姫、黒岩百合子、北条輝、新垣貴之の五人―― は、奇妙な闖入者の言葉に、どうすれば反応すればよいかわからなかった。三十代半ばである北条輝は左手でコーヒーカップを煽るようにし、新垣貴之は神経質そうな眼差しを闖入者に向けていた。各々の落ち着きがないのも無理はない。なにせ、いまこの山荘―― 新垣の別荘は陸の孤島となってしまっていて、第三者が現れるとは思いもしなかったのだから。
 ややしてから、コーヒーカップを置いた兵糧院は目を細めていう。
「……しかしおかしいな、この館にいるのはこれで全員ですか?」
「いいや、あとひとりいるけど……まだ寝てるみたいだよ」
 北条がどうしてだと、疑問を顔に浮かべ応える。あとひとりと聞いて、僕は昨夜のことを思い出し陰鬱な気分になった。
「玄関に置かれた靴の数が合わなくてね」
 兵糧院は腕時計を見遣る。つられて北条も右手の腕時計を見た。僕も時間を確認しようと腕を上げかけ、頭《かぶり》を振って壁にかけられた時計を見た。「しかしもう昼過ぎだというのに、随分な寝坊ですね」
 古めかしい鳩時計の針は午後二時を指していた。たしかに寝坊というには遅い時間だった。
「事件の香りだ」と兵糧院は立ち上がる。
「寝かせといてやれよ。起こすと文句言われるんだよ」
 北条が腕を伸ばして止めようとするが、探偵は素早く逃れ足早にリビングから出ていく。
 この新垣邸は部屋数が多いわけではない。ドアをノックして扉を開けていく音がいくつか続けて鳴らすのを、リビングにいた人々は複雑な空気の中、黙っている。
 そうして少しすると、驚き半分、期待半分といった顔の兵糧院がひとりでリビングに戻ってきた。
「あの死んでいるひと、なんという名前なのか教えていただけませんか?」

※ ※ ※


「なるほど、君たち二人は先輩後輩の関係で、昨晩からこの山荘に滞在させてもらっていたと」
 僕と綾姫がそれぞれ頷く。僕と綾姫は学部こそ違うが、大学のサークルの先輩と後輩という関係だった。しかしふたりきりで泊まりがけのスキー旅行に来たとはいえ、色っぽい関係などではなかった。ただ単に人数が集まらなかっただけの話だ。
「ちょっとしたトラブルがあって……それで帰り道で迷ってたら途中で雪崩が起きて道が塞がっちゃって。しかたなく泊めてもらったんです」
 と迷った原因である綾姫が、片耳につけたイヤホンを指で押さえながらいう。空いたイヤホンの穴からは、ラジオがボソボソと情報を流していた。この山荘までの道は一本のみで、ちょうど袋小路のようになっていたのだった。
「で、他の皆さんは高校時代の同窓生で、いまは会社員。昨日の朝から新垣氏の別荘へは遊びに来ていた……それでいいですね?」
 三十代半ばであろう新垣が眼鏡を直したあと、代表をして小さく頷いた。
「まさか、山形が殺されるなんて……」
 探偵は詳しい話こそしなかったが、山形は殺されているといった。嫌な沈黙がリビングを覆った。どう反応すればよいのかわからない、そんな空気だった。その妙な雰囲気を訝しんだのか、探偵はそれ以上踏み込むことはせず、両指を祈るように組んで話を変えた。
「……しかし警察は来れそうにないですね。携帯電話は圏外。固定電話もなぜか不通……」
「ああ、電話は雪崩で電線が切れたからみたいだ。停電にならなかったのが奇跡みたいなものでな」
 北条が歯切れ悪くそういった。電話の不通は昨日からのことだった。僕としては、なぜ新垣このような不便なところに別荘を持ったのか大きな疑問だったが、昨晩それに救われたのだから文句は言えない。
「見事なクローズドサークルの出来上がりってわけだ」
 探偵の言葉に誰も反応しないので、仕方ないと場つなぎ的に僕はいう。
「雪の山荘……吹雪《ふぶ》いてこそいませんが、出来過ぎでしょう」
 持ち前のミステリ趣味からついそういうと、兵糧院は嬉しそうな顔で、
「ほう、君はミステリを嗜んでいるようだね」まるで同類を見つけたような顔だった。嫌な予感がしたが、すぐに的中することを知る。「よし決めた、君をワトソン役に任命しよう」

※ ※ ※

 
 探偵を自称する兵糧院に連れられて、僕と綾姫は山形の泊まっていた部屋へと向かった。ワトソン役に指名された僕はともかく、なぜ綾姫が連れて行かれるかというと、彼女は医学部に在席しているという簡単な理由からだった。もっとも、綾姫は「まだ学生なので詳しいことはわからない」と前置いたが、兵糧院はそれでも一応専門の知識を借りたいと答えた。
「それに君たちは被害者とは初対面らしいからね。犯人である可能性は低いだろう」
 兵糧院は人差し指を唇にあてて、いたずらをした子どものようににやりと笑った。僕はそんな簡単に判断していいものだろうかと、昨夜の出来事を思い返していた。
 兵糧院がドアを開ける。いつの間につけたのだろう、その手には手術に使うような薄手の手袋がはめられていた。スキー場でそんな手袋を持ち歩くとは、見上げた探偵根性だった。
 窓が開け放たれたままだった山形の部屋は酷く冷え込んでいて、とても人間の存在している環境とは思えなかった。快晴とはいえ外気は冷たい。そうとわかっていれば上着を着てきたのにと思っていると、
「ただし、一応私も君たちも容疑者のひとりだ。お互いの動きを監視し合おう。ちなみに言うまでもないが、部屋は私が見つけた時のままにしてあるよ」
 と、兵糧院はいった。
 山形の部屋は昨晩、僕が泊めてもらった部屋と同一の作りだった。ベッドがひとつの八畳ほどの部屋だ。新垣の別荘には客室が六部屋あり、綾姫とは別々の部屋が割り振られている。彼女の部屋も同じ間取りだったので、おそらくすべて同じ作りになっているのだろう。ちなみにこの部屋は一階の角部屋だった。
 ドアを通って右手奥にベッドがあり、その上には白い塊が乗っていた。ひっ、と綾姫が危うく出しかけた悲鳴を辛うじて呑み込んでいた。いくら医学部とはいえ、このような死体を見るのは初めてだろうと僕は思った。
「お嬢さんには刺激が強いかもしれないね」
 任命しておいて何を言っているのだかと僕は呆れたが、そんなこともお構いなしに兵糧院はベッドの近くへと歩を進める。僕と綾姫はなかなかドアの近くから動くことができなかった。
 白い塊は山形だと思われた。というのも白い毛布で頭まで覆われており、すぐには断定できなかったのだ。ドア付近からでは見づらいが、寝ていればちょうど腹にあたるであろう位置には赤い泉ができており、その中心には黒い持ち手のようなものが生えている。
 探偵が近寄ったのに、ようやく僕と綾姫も同じようについていく。持ち手のようなものは被害者の腹だと思われる膨らみに隠れていてわかりづらかったが、近寄ると黒い柄のナイフが根本まで突き立てられていたのだとわかった。
 探偵が毛布をゆっくりとめくる。
「見てごらん」
「これは、なんというか、ご丁寧に……」
 適切な言葉が浮かばなかった僕は、なんとか言葉を見つけた。現れた山形の頭部は見事にばっくりと割られていた。横長に柘榴のように広がった傷口からは、少なくない血液が枕を濡らしている。木目模様に紛れてわからなかったが、よく見ると枕元の壁にも少し血痕が飛び散っていた。
「毛布を取り去ることは……叶わないね」
 兵糧院は毛布ごと突き立てられたナイフを見遣っていう。毛布を完全にめくる為には、ナイフを抜かねばならない。それは現場を維持するということに反する。兵糧院は毛布をギリギリまでめくる。
「おや」そう呟いて、探偵は山形の首元を覗き込む。「首も絞められているね」
 兵糧院と位置を変わり、僕と綾姫も恐る恐る首元を覗き込む。細く紫色の筋が山形の首囲を巡っていた。
「これは一体……」
「さあね、よほど怨恨が強かったのか、安心できなかったのか……さてさて」
 そう兵糧院はいうと、綾姫に視線を送る。
「死因と、彼が死んだ大体の時間はわかるかい?」
 と尋ねる。綾姫は首をふるふると横に振る。
「死因は……わかりません。どれが致命傷なのか。ただ、抵抗した気配はありませんね」そういって綾姫は、袖を伸ばしたカーディガンで山形の腕を取る。重い石を持ち上げるような仕草だった。「死後硬直は完全に始まっているので、六時間以上は経ってると思いますが……」
 綾姫は開け放たれた窓を見遣る。
「……部屋の温度が極端に低いので、正確なことは何もいえませんね」
 兵糧院は答え合わせをするかのように頷いて、
「なるほど、悪かったね」
 といい、開けっ放しになった窓辺に寄る。
「窓を開け放ったのは、事件の起きた時間を誤魔化すためか、外部犯の犯行と見せかけるためか……」
 窓からは身を乗り出すと、そのまま下を見る。「ほら、きてごらん」
 兵糧院は僕を見ていったので、横に並んで窓の外を見る。青い空には飛行機雲が伸びていた。
「上じゃない、下だよ」
 探偵に言われて窓の下を見る。特に珍しい物など何もなく、真白い雪が広がっていただけだった。
「足跡がない、ということは外部から入ったわけでも、ここから出たわけでもないということだ」
 この窓を使った場合、外の雪原に足あとがつかなければならない。晴れていたから、雪で足あとが消えることはないだろう。僕は納得して窓から離れた。窓際のチェストの上では、コーヒーカップに入れられた黒い液体がすっかり冷え切っていた。それを眺めながら、僕はなんとはなしに尋ねてみた。
「兵糧院さん、この部屋は鍵が」
 探偵は外国人のように大げさに肩をすくめて、
「当然かかってなかったよ。どうやら、犯人はミステリとは無縁の頭脳の持ち主らしい」
 と残念そうにいったのだった。

※ ※ ※


 死体と現場の検分を終えた三人はリビングに戻った。何も会話らしい会話が交されていないであろうことは、戻った時の雰囲気で感じ取れた。
 兵糧院は山荘の持ち主である新垣に、部屋をひとつ借りたいと申し出た。個別に事情を聞きたいとのことらしい。断るのも怪しまれると思ったのか、それとも何も考えていないのか、新垣は言われるままに余った客室を兵糧院に貸した。
 まずは新垣、北条、百合子とそれぞれ呼び出し、次は綾姫の番だった。
「行ってらっしゃい」と僕がいうと、綾姫は「行ってきます」とカーディガンの伸びた袖を更に伸ばし敬礼のポーズをしてリビングから出ていった。そんな様子が可愛かったと、殺人の起きた状況に似つかわしくない感想を覚えた。
 十分ほどして戻ってきた綾姫はこころなしかぐったりとしているようだった。「次は先輩ですって」
「了解」と軽く右手を上げて、僕は兵糧院の待つ部屋へと向かった。

※ ※ ※


「話を聴くに、まさに殺してくれっていってるような人間だったわけだ、あのひとは」
 探偵の待つ部屋に入ると、ベッドに腰掛けた兵糧院は開口一番、吐き捨てるようにそういった。
「そして全員にアリバイがなく、ついでにここで死んでも誰も気にしない人間関係、というわけだ」
 なんて理想的な被害者だ、と兵糧院は鼻で笑う。どうやら全員に話を訊いたところ、そのような結論に至ったらしい。
「しかしまさか、初対面であるはずの君達にも一応の動機があるなんてね。山形氏とは、どんな愉快な人物だったのだろう」
 兵糧院がそういって不謹慎にも笑う。
 どうやら昨夜の出来事を綾姫は話したらしい。もはや隠しても仕方のないと思い、僕も昨夜山形と軽い諍いになったことを正直に話した。主に綾姫に対するセクシャルハラスメントというやつだった。
 しかし兵糧院の話を聴くに、全員に動機があったということだ。確かに胸糞悪くなるような人間だったと、いま思い出しても怒りが沸いてくる。なんだったのだろう、あのひとは。なぜそんな人物が、仲間うちの旅行に呼ばれたのだろうとふと思った。
「兵糧院さんは、犯人、わかりそうですか」
 僕は不安に思いながらも、尋ねてみた。
「なに、簡単で杜撰な犯人あてだよ、ワトソン君。もう時間の問題さ」
 鼻で笑ってそういった。
「しかしあとひとつ、決め手が足りない」
「決め手」
 僕がオウムのように返すと、兵糧院はさっと立ち上がって、
「ちょっと、思考を整理する為に外の空気を吸ってくるよ」
 そう残して部屋から出ていった。それが僕の見た、探偵の最後の元気な姿だった。

※ ※ ※


「それ、死んでるんですか?」
 綾姫がイヤホンを耳から外し、目を細めながらそう呟いた。僕は一度頷いてから、頭を振って、
「多分」と応えた。
 僕がそれの顔を覗き込むと、何が起こったのか理解できないような表情が顔に張り付いており、容姿端麗だったそれが台無しになってしまっている。眉間にはまるで銃で撃たれたような三センチほどの穴が穿かれていて、そこからだらだらと流れた血が白雪を汚していた。
「……まだ復旧に時間かかるみたいって、ラジオで」
 綾姫は戸惑いながら、ラジオで得た情報を紫藤に伝える。僕は複雑そうな顔を浮かべる。
「僕ら、無事帰れるのかな」
 小一時間前まで弁舌を振るっていた兵糧院幸三郎は、中庭の中心に仰向けに転がっていた。最初にそれを見つけたのは百合子だった。
 僕と綾姫は顔を見合わせ、どちらともなくため息をついた。中庭に面したリビングから、他の人々がそれぞれのやり方で驚いていた。どうしていいのかわからない風でもあった。それもやむを得まい。まさかこの探偵が死んでしまうとは、僕も思わなかった。
 いったい、誰が―― 僕はそう思い、僕は天を仰いだ。空には呑気にも、飛行機雲が浮いていた。

※ ※ ※


 僕と綾姫は山形の死体のある部屋にいた。窓の開いた部屋は相変わらず寒かった。今度は上着を着てきて正解だった。
「一応、もう一度死体を検分したい」
「でも、私にわかることなんてそんなにないですよ」
「表面だけでいいんだ」
 僕はそう言うと、毛布ごと山形に突き立てられたナイフをゆっくりと抜く。死後、時間が経っているからか、血は吹き出なかった。
「現場の保存はいいんですか?」
 綾姫は少し驚いたように声を張り上げて、
「いいよいいよ、別に」
 そういって僕は片手で、山形の衣服をナイフで裂いていく。薄手のパジャマだったので、作業は容易だった。綾姫がいるので下着だけは残しておく。
 綾姫は驚いた顔をしてそれを見守っていたが、すぐに真面目な顔をして、
「見たところ、他に外傷はないですね」
 僕は頷く。念のため細かいところまで見てもらったが、特に問題のある部分はないようだった。僕は死体を裏返そうとする。苦戦する僕を見て、見かねた綾姫はいやいや手伝ってくれた。
 なんとか裏返った死体を綾姫が検分する。
「こちらも……紫斑が酷いですが、特に変わったところはありませんね」
 僕は頷いて少し考えごとをする。
「ありがと」傍から見れば、冷え込んだ部屋に裏返った半裸の死体と男女という、奇妙な光景だったろう。「綾姫、もうひとつ手伝ってほしいことがあるんだけど」
 僕は彼女にそう切り出した。伸ばしたカーディガンの裾を口元に当てて、「なんです?」と尋ねてきた。
「シーツを集めてきて欲しいんだ」
「なんでですか?」
 と、綾姫は首を傾げる。僕は山形の死体を指差して、
「死体を包んでしまおうかな、と」
 そういって綾姫にシーツを集めに行ってもらった。僕は部屋にひとり残される。
「……寒い」
 開け放たれたままだった窓辺に寄り、がらりと窓を閉めた。指紋を残してしまったが、まあいいかと思い直しチェストのコーヒーに目を遣る。兵糧院と部屋を訪れたときから気になっていたものだ。。僕はポケットから財布を取り出す。
 ……少しすると、シーツを抱えた綾姫がやっとという様子で戻ってきた。小さな身の丈に合わない数のシーツを持ってきたらしい。
「全然進んでないじゃないですか」
「仕方ないだろ」と僕は左腕を振って抗議する。
 綾姫からシーツを受け取ると、ふたりでなんとか山形の半裸死体を包んだ。綾姫も死体に慣れたのか、あまり気にしてない様子で作業をしていた。山形が小柄な体格だったのも功を奏した。何重にも巻いたのにかかわらず、白いシーツには少し血が染みてしまっている。
「まあ、いっか」
 僕らはリビングに戻るため、部屋から出ようとした。そのとき僕の足元で金属音がした。音に視線を遣ると、虫を捕まえるような仕草で綾姫が床を押さえていた。
「先輩、なんか落としましたよ」
「んあ、ああ」僕は綾姫の手のひらのものを認めて、
「十円玉、ですか? でも、変な十円玉ですね……」
「レアなんだよ」僕はふざけるようにいってから、その後真剣な顔して、
「ちゃんと手、洗えよ」

※ ※ ※


 死体を包み終えた僕と綾姫がリビングに戻ると、全員がまだそこにいた。百合子は何度目だろう、コーヒーを淹れ直していた。もとより無言なのか、僕は彼女の声をほとんど聞いていないことに気づいた。
 北条は電話が通じないか試しており、新垣は両手を合わせて貧乏ゆすりをしていた。それもそうだろう。闖入者が現れたと思ったら、いきなりふたつもの死体が出てきてしまったのだから。
 僕と綾姫がリビングに入ると、全員の視線がこちらに向きなんとも気まずい雰囲気になった。僕はどうしようかと逡巡して、咳払いをした後にいった。
「……ここは探偵らしく、さて、の一言でもいいたいところですが、僕は名探偵でないので犯人なんかわかりません」
 なにをいいだすんだ、という視線が痛かったが、ここが正念場だった。僕は挫けそうになる心を鼓舞して続ける。
「しかし僕は山形氏とこの探偵を殺したのは同一人物だと考えています。この短期間で兵糧院さんを殺害する動機を持ち得る人物は犯人しかあり得ない」
 ここまでは何も問題はない。綾姫の方を見ると、一体なにをいうつもりなんだろうと、疑問が顔に浮かんでいた。
「しかし当然、誰も名乗り出ることはしませんよね。それどころか、このまま大量殺人に発展する可能性すらあるんです」
 さてここからが問題だ。
「なのでひとつ提案なんですが」
 僕は各々の表情を窺うようにゆっくりと見回して、その言葉を口にする。
「……なんかいろいろ面倒なんで死体、ふたつとも埋めちゃいません?」

※ ※ ※


 予想はしていたことだが、誰も反対しなかった。
 北条も新垣も、紫藤の指示通り山形の部屋から死体を運ぶのを手伝ってくれた。山形の死体を包んだシーツからは血が滲んでいて、新垣は嫌な顔をしたが、何も言わずに運んでいた。綾姫と百合子は夕食の用意に取り掛かっていた。人が死んでも腹は減るのだ。
 埋める場所は新垣の別荘から少し離れた林の中にした。そこは新垣の私有地らしく、掘り返される可能性は少ないということだった。
 山形の死体を運搬したあと、兵糧院の死体もシーツに包んで運んだ。二度目は疲れからか、やや雑に引きずって運んでしまった。
 あとは埋めるだけだ……そうはいうが、雪深い林の中だ。土が出てくるまで掘るのにも一苦労だろう。そう思うと、誰ともなくため息をついた。既に日が暮れ始めていた。

※ ※ ※


 探偵と山形を埋めてからまる一日経って、夜、ようやく道が復旧して帰れることになった。僕らは帰りのレンタカーの中、ふたり疲れきった顔をしていた。僕は主に肉体的疲労だった。
 車は暗い山道を縫うように進んでいく。僕はまた道に迷わないか心配だった。
「しかしなんだったんでしょうね、あの事件は」
 綾姫の言葉に、僕はあくびを噛み殺して応える。
「あの事件ってのは、兵糧院さんの?」
「どっちもですよ」
「ああ、山形さんのもか」僕はふわあとあくびをして、
「それはもう答えはでてるからなぁ」
「……ということは、先輩、もしかして――
 僕は控えめに頷く。
「わかったよ、山形氏を殺害した犯人」

※ ※ ※


「山形さんの死体にはたくさんの痕跡が残されていた。すべての痕跡は、あまりに趣向が違う。そこで僕は、ひょっとしたらあの山荘にいた全員が犯人なのではないかと思ったんだ。共犯という意味ではなく、それぞれがそれぞれの動機でもって別々につけられたのではないかと」
 だがそれはあくまで憶測であり、確証はなかった。そこで僕は一種の賭けに出たのだった。
「『埋めないか』って提案したとき、誰も反対しなかった―― それが推理の決め手にして、基点とになった。反対が出なかった……ってね」
「……あの突拍子もない提案は、そんな意図があったんですか」
 僕は苦笑いして綾姫の言葉に応える。 
「山形氏の死体には加えられた危害の痕跡がたくさんあった。そのすべてに、全員が関わったんだね」
 兵糧院は全員いる場で死体の状況を説明しなかった。北条と新垣はシーツに包まれた状態の死体しか見ていないし、そもそも百合子は現場に入ってすらいない。すなわち
「きっと、僕と綾姫とあの探偵以外、。だから埋めようという提案に、渡りに船と全員が納得したんだ」
 例えば……暗い部屋の中で、それぞれの人物が、死んでいると気づかずに更に危害を加えたのではないか。僕はそう推理したのだった。
「それぞれの危害が別々の人間によってなされたとして、ではどのような順番で行われたのだろう。まず一番最後に加えられた痕跡が、ナイフである。それは、いいね?」
 綾姫は頷く。
「ナイフは毛布の上から突き刺されていた。。故にナイフが最後である」
 僕は滔々と続ける。
「その前は殴打だ。顔を覆うように毛布がナイフで縫い止められる形になっていたから、撲殺は少なくとも刺殺よりも前で、多分殴ったあとに毛布を引き上げて隠したんだろう。また、前頭部の陥没が横に広がっているところを見ても、横になってるところを殴られたと考えていいだろう。あとの危害の加え方を考えるなら、撲殺はこの位置でなければならない。だから」
 いくら暗闇の中とはいえ、石榴のように弾けた頭に気づかず首を締めることはないだろう。
「残るは……といいたいところだけど、その前に実は他にもふたつある。だ」
「毒殺と感電?」綾姫が目を丸くする。
「まずは毒殺。実はコーヒーカップには青酸カリが入っていたんだ。もしかしたらと思って十円玉を入れてみたらピカピカになったよ」
「ああ、酸化還元反応ですか。それであの変な十円玉を持ってたんですね」
 綾姫が拾ってくれた半分が変色した十円玉だ。
「しかしコーヒーは飲まれていなかった。つまり毒殺は未遂に終わっている。そしてもうひとつ未遂で終わったのは。切断したドライヤーのコードで感電死させる予定だった。これは僕自身のことだし、未遂……というか必要なかった行動なので飛ばそう。強いて証言するとするならば、頭は陥没してなかったし、ナイフも刺さっていなかった。コーヒーカップもなかった。首の締められた跡だけがあった。綾姫にも確認してもらったように、死体には感電した火傷の跡なんかなかっただろ?」
 綾姫は小さく頷く。
「というわけで、残る絞殺は一番最初でなければならない。なんだから」
 そこまでいって、僕は整理する。
「刺創、殴打、絞首、そして未遂だけど毒殺と感電。容疑者は僕と綾姫を含めて五人がいた。全員が加担しているとして、ではそれぞれ誰がどれを行なったのだろう」
 僕は右手の人差し指を立てる。
「まずは感電。これは僕の犯行だから飛ばしていいかな」
 僕がそういうと、綾姫は前を向いたまま頷く。僕は二本指を立てる。
「つぎにわかりやすいのは刺殺。―― 。右利きの人間がわざわざそんな刺し方する必要ないからね。よって、ナイフを使ったのは左利きである北条氏だ」
 北条は左手でコーヒーカップを持っていたし、腕時計は右手につけていた。ひとつひとつでは心もとないが、二つ合わせれば左利きである証左になるであろう。
「三つ目にわかるのは毒殺。これは埋めるのに反対しなかった、という点から見ても唯一現場に入っていない百合子さんだろう。―― ――
 僕は四本目の指を立てて続ける。
「四つ目、殴打したのは新垣さん。だ。しかし新垣さんは埋める際に、血の染みたシーツに対して何も疑問に思った様子はなかった。故に血液の出る殴打は新垣さんの犯行だ」
 立てた指を人差し指以外折り込んで、僕は指さす。
「よって、残るは消去法で綾姫、君が絞殺したんだ。凶器はラジオのイヤホンかな、多分」
 僕は笑顔で綾姫にそういった。
「……でもすべてでっち上げで、そう語る先輩が犯人の可能性は、依然として残ってますよ」
「僕に出来るとでも?」
 紫藤は左腕を大きく振る。左腕にはギプスがはめ込まれている。「。現に感電という力の必要ない手段を取ろうとしたんだから。片手で首を締めるだけの力がない以上、少なくとも、僕は殺人犯にはならない」
 紫藤は「綾姫が運転免許を持っててよかった」とひとりごちる。もっとも、綾姫に運転させたからこそ迷い込んでしまったのだが。
「……誰かが二種類以上の痕跡を残した可能性は?」
「だとするなら、誰かは死体に関わってない―― イコール、埋めるのには反対するひとが最低ひとりはいるはず、だろ」
「負けました」と綾姫は伸ばしたカーディガンの裾を元に戻す。ハンドルを握る手の甲には赤く鬱血した痕が薄っすらと残っていた。首を絞めた時に残ったものだろう。
「あの夜の出来事を整理すると、君がまず山形さんを絞首した。多分眠ってるところを馬乗りになって締めたんだろう。抵抗がなかったらしいし。次に僕が殺そうとしたけど、死んでることに気づいて現場を去った。三番目の百合子さんが毒入りコーヒーを部屋に持っていった。四番目に新垣さんが死んでる山形さんに気づかず、頭を殴打し、毛布を頭まで引き上げた。最後に北条さんが毛布ごとナイフで突き刺し窓を開けていった」
 窓を開けたのは北条だと断定したのは、最後以外の人間が開けたとするならば、その後の人間が死んでると気づいているはずだからだ。よくもまあバッティングしなかったものだ、と僕は笑う。
「もし、誰かが死体を埋めるのに反対したらどうするつもりだったんですか?」
「どうもしないよ。埋めないで、警察に任せようと思った」
 提案したときはまだ誰が犯人だったのか、正確にはわかっていなかった。その反応も含めて、推理の材料にするつもりであったことは、いわないでおいた。
「私は命拾いしたってことですね」
 と綾姫はくすりと笑った。僕も釣られて笑みを浮かべる。

※ ※ ※

 
 ところで、と綾姫は僕に尋ねた。
「じゃああの探偵さんは、先輩が殺したんですか?」
「まさか。兵糧院さんは、殺されたんじゃないんだよ。……あれだよ」
 そういって僕は窓の外を指さす。綾姫は注意しながら指の先を見やったが、そこには星のような光が瞬いているだけだった。
「星……ですか?」
 綾姫が前を向いたまま首を傾ぐ。いいや、と僕は首を横に振る。
「飛行機の航空灯だよ。僕が兵糧院さんの死体を見つけた時の話だ。ふと空を見上げたんだ。飛行機雲が気になって」
 いったいそれがどうしたんだと言わんばかりに、綾姫が睨みつけてくる。僕はすこし溜めるようにしてから、言った。
「兵糧院さんは、


<了>



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