『彼岸花と死すべき世界』エピローグ(途中まで)




 私は何度の夏を、この町で迎えただろう。
 大切なものを何か、失った気がする。
 今朝も、『あの夢』を見た。

 右に山、左に山、向かいを見れば山があり、後ろには山が聳え立っているという、いうなればあたりには山しかないこの町が生きていけるのは、単にこの町が温泉地だと言うことによる。
 それもそう。
 山に見守られたこの田舎町が名物もなしに生きていけるのは、宝くじの前後賞が当たるのと同じくらい厳しいものがある。なんてこと……自分で言って少し絶望したわ。
 ともかく、この町の名物といえば温泉である。
 温泉。
 私は特に効能とかはよく知らないけれど、それなりに有名らしく、長期の休みの時期に入ると自家用車はもちろん、送迎バスやらが列を成す。この地に住んでる私からしてみれば、そこまでしてこの何もない土地を訪れたいとは思わないのだけれど、そこはやはり都会の喧騒からの逃避やら癒しやらを求めてくるのだろう。その逃避やら癒しやらのおかげで私たちがこの地に滞在していられるわけなのであり、この人たちのせいでコンビ二のお菓子やらジュースやらの値段がやけに高いのは、まあ笑って許してやることにする。

 私の通う学校はこの町の中心から少し外れた所にある。
 自宅から行きは30分、帰りは25分という時間的不思議現象が起こるのはその学校が少し山を登ったところにあるからである。山の登りと降りにそこまでの差異が発生するのか、と問われれば、発生するのである。
おそらくお年を召した方には到達不可能な程に急なこの坂は、小学生や中学生の学校でのスキー学習にでも使えるんではないだろうか、というくらいに急なのである。
 冬は、凍るよ? 滑るよ?

 さて、学校に着いた。
 この頃には息は切れ切れ、肩で息をする状態。
 どうしてこんなところに学校を建てたのだろう?
 おそらくここに通うことになる全新入生がそんなことを思いながらこの坂を登り、上級生はもはや作業になり果てている。どうせ答えの出ない疑問を真剣に考えても無駄だと気づくのだ。みんなね。
 こんな坂を、運動部が見逃すわけがないのだ。可愛そうに。野球部、サッカー部、陸上部、生物部。
 ……運動系でないはずの生物部が走っているのは、この学校のナントカ不思議の一つに数えられている、とかないとか。
 なんてね、どうでもいいわ。
 殺人クラブ? そんなのあるわけないじゃない。


 玄関を入り下駄箱。
 生徒一人一人に小さなロッカー型として使用を許されている下駄箱だったりする。
 男子は、バレンタインにはこのロッカーがチョコレートとかでいっぱいになるのを夢見ている……まあ、実際はそんなにチョコレートがもらえる男子なんて、この学校はおろか、どこを探しても居ない気がする。

「あら、おはよう」
 不意に声をかけられた。
「あ、おはようございます」
 彼女は檜乃上琴羽さん。
 先輩であり、中学の頃に出会って、それ以来よくしてもらっているのだ。
「いつもこの時間に来てるんだっけ?」
「いえ、今日はたまたま早く起きたんで、気分転換にですよ。琴羽さんはいつもこの時間に?」
「ええ、早く行って読書してるの」
「ああ。琴羽さん、読書好きですもんね」
 私は琴羽さんと階段をのぼる。
「じゃ、私二階なんで」
 琴羽さんに手を振って、教室に向かう。

 教室に入る。
「あ、せっちゃん! 今日は早いんだねー!!」
 そう言って抱きついてくる。
 姫川嬉乃ちゃん。同じ学年で、同じ部活の女の子。
「……おはよう。朝からテンション高いね」
 最初っからフルスロットル。低血圧の私には、そのノリが少しつらかったりする。
 いい子なんだけどね。
「ねぇ、せっちゃん。今日、体育あるよね。ジャージは?」
 ジャージ。
「……あっ!!」
 朝早く来たのだから、急いだワケではないのに。
 やってしまった。
「忘れちゃったんだね……せっちゃん居れば、今日のハンドボール、優勝だと思ってたんだけどなぁ」
「うう、ごめん……」
 謝るのもおかしな話だが、まあいいや。深いことは気にしない。
 こんなことを話しているうちに、いつの間にか机がちらほら埋まっていた。
 むしろ、埋まってない机のほうが少ないくらいだった。

「よーし、ホームルーム始めんぞ」
 担任の大町先生(どう見ても体育教師です。ありがとうございました)が教卓につき、委員長が号令をかける。私はいつものように立ち上がり、頭を下げる。この行為に、特に感想などないが一応描写しておこうかと。

 仲のいい友人。
 普段の風景。
 退屈な授業。
 なんでもないものが、特別なものに見えるのは、天気が良すぎるからだろうか。
 私の席―― 一番窓際なわけで――から見えるこの壱ノ岐の風景は普段と変わらず、空の海には雲の船が浮かんでいる。あー、眠くなってきた。これは早く起きたから? それとも、この日差しのせい―――



「旗本折!!!」
「にゃ!!!!!!」
 誰かに頭を叩かれた。
 ビックリして、変な声が出たような気がする。
 私は涙目になりながら、顔を上げた。
 そこには黒川成実先生が、文字通り鬼の形相で教科書を掴んでいた。
 どうやら教科書の硬いところで殴られたようだった。
「……う、ごめんなさい」
「……旗本さん。56ページから、読んで」
「あう……はい」
 私は机の上にあった教科書を開く。
 えっと、56ページ56ページ……
「み、ミスタージラフ ライクス イット。は、ハウエバー ミスターエレファント ライクス イット……」
「……旗本さん」
「にゃぷぅ!!!!!!!」
 まただ!
 二度もぶった!!
 じっちゃんにも殴られたことないのに!!
 私は黒川先生を見上げる。あれ、私ちょっと涙目じゃない? あれ?
「旗本さん……いま、なんの授業かしら……?」
 何って……
「……古文ですね。すいませんでした」
 ん……古文だって?
 古文って行ったら四時間目じゃないか!?
 どうやら、一時間目から四時間目まで寝てしまっていたらしい。
 なんてこった。すごい、新記録。
 あ、黒川先生が睨んでいる。
 私は鞄から教書を取り出し、56ページを開く。
「えっと、竹取物語だったか」

 竹取物語。
 かぐや姫とも言われるこの物語は、私が幼い頃一番好きなお話。
 おじいちゃんに買ってもらった本を大切に持ち歩いていた。
 暇を見つけては、いつも読んでいた時期があった。



「せっちゃーん」
 嬉乃ちゃんが近づいてくる。昼休みになったのだ。
 彼女はやけにニヤニヤしている。
「……なによ?」
「『にゃ!!!!!!』」
「うっ……」
「『にゃぷぅ!!!!!!!』」
「はっ……」
 おう、やっぱりそう来たか。
 この娘は、こういう奴なのだ。
「にひひ……面白い声出したねぇー」
「うう……いっそ、殺して……」

 私は鞄から弁当を取り出し、屋上に行こうとする。
「あれ? せっちゃん、どこ行くの?」
「えっと、屋上だけど」
「ん? 誰かと一緒に食べるの?」
「……あれ? 屋上で食べてなかったっけ?」
「んーん。せっちゃんは、いつもここで食べてましたとよ」
 ……そうだっけ?
「……そっか」
 私は席に着く。
 嬉乃がそういうのだったら間違いないのだろう。嘘を吐く必要もないのだし。
「まだ寝ぼけてるんですかー?」
「んー」
 そうかもしれない。
 きっとそうだ。まだ寝ぼけているんだ。
 気付いたら、嬉乃ちゃんが私の弁当箱を勝手に開けていた。
「たまご焼き、ゲットなんだぜー」
 なんでさ。
 それ、私のだよ。


「そういえば次、体育だよ」
「そういえば、そうね。先生に言ってくるかな」
「どうせなら、体調不良にしておきなよ。そしたら単位はもらえないけれど、ジャージ忘れた分は減点されないから」
「……なっ!!」
 そんな方法があったのか。そうしよう。
「じゃあ、保健室行ってくるわ。先生に報告……」
「任しとけー」


 私は保健室で寝ることにした。
 女の子なので、さほど疑われもしなかった。
 まぶたが、重い。
 実際、具合悪いわけじゃ、ないのに……






「せっちゃーん……」
 目の前にいたのは梨木由良先輩。私の所属するオカルト研究部の部長である。リボンで縛った髪の先が、ピョンピョン跳ねている。まるで、高校生とは思えない。そんなところが、面白かったりするのだけど……って、何でこの人が起きてすぐの視界に入るの?
「ねぇ、せっちゃんよ。大丈夫かい?」
 今は授業中じゃないのかな?
 私は素直に訊いてみる。
「……あれ、由良先輩。いま、何時間目ですか……?」
 えっとねぇ、と彼女は少し考えてから、
「六時間目かな?」
 と言った。
 体育の授業は五、六時間目なので、一時間程度寝てたことになる。
 ……じゃなくて。
「六時間目って、由良先輩。なんで、ここにいるんですか?」
「せっちゃんが気になって」
 それは理由になっていない。
 私の訝しげな視線に気づいたらしく、彼女は手をひらひらさせて訂正する。
「いや、ホントは授業をサボろうとしたんだけれどね。このベッド、私がいつも使ってるのさ。で、そこにせっちゃんがグーグーおねんねしてたから、私は隙を見て襲ってやろうかと。せっちゃんの純潔、ここに散るー!!」
「冗談はやめてくださいよ」
 この人は、本気で言っているのかわからないときがある。だから、怖い。
「冗談?」
 ひゃははと、女の子らしかぬ笑い方をする。見た目はすごく可愛いのに、もったいない。
「……冗談じゃ、ないとしたら―――?」
 由良先輩の顔が近づく。
 シャンプーの匂いが、鼻腔をくすぐる。
「ねぇ、せっちゃん……可愛いよ、せっちゃん……」
 気づいたら、由良先輩がベッドの上に乗っかっており、私に覆いかぶさる形になっていた。
「ちょ」
 え、本気?
 これじゃ由良先輩じゃなくて、ゆり先輩だ。
 おもむろに私の頭に手を乗せて、髪の毛を撫でる由良先輩。
 彼女の動作一つ一つに、女を感じる。
 まさか女の私が、同性の匂いでくらくらするなんて。
「ううっ……」
 もうダメだ。
 この人には、もう逆らえない。
 私は覚悟を決めて目を瞑り、身体の力を抜く。
 もう、どうにでもして。

「……くくっ、ひゃっはっは!! せっちゃん、やっぱ可愛いなぁ!!」
 そう言ってベッドから降りた由良先輩。
 あれ、からかわれた?
「…………」
 私は彼女を睨む。
「ごめんごめん……もしかして、本当にソノ気があったりする? ……私は別に、せっちゃんとなら交わってもかま痛っ!」
 彼女は頭を抑えてうずくまる。
 由良先輩の後ろには、保健室の先生が『365日の献立』という分厚い本を持って立っていた。
 なんでこの部屋にそんな書物があるのか不思議だが、それで殴ったのか。さぞ、痛かろう。
「……梨木さん。やめなさい」
 由良先輩は頭を抑えたまま、うなづいた。
 あ、涙目になってる。……本当に痛かったんだな。
「あのねぇ、旗本さんは具合悪いって言ってるの。ちょっかい出さないであげて」
 そう言って、保健室の先生は私に水をよこしてくれた。
 ん?
『旗本さんは』ということは、由良先輩がサボりなのバレてるんじゃ。
「はい……」
 素直に返事をする由良先輩。
 普段だったら「へいへい」くらいで済ます彼女だが、珍しくちゃんと反省してるらしい。なんだろう、この保険の先生に頭が上がらないのかな?
 わたしはコップの水に口をつけながら、そんなことを思った。
「あと……たとえ同性でも、学校での性行為はだめよ」
「ぶっ!!」
 と、同時に私は盛大に噴き出した。水を。
 掛け布団が水でびちゃびちゃになった。
 なに? ツッコミどころはそこなの?
 おかしいのは私?
「せっちゃんが、濡れちゃった」
「変な言い方しないでくださいよ!! なんか、私が変態みたいじゃないですかっ!!」
「……はぁ、こんなに濡らしちゃって……イケナイ娘ね」
「んあー!! 先生まで!!!」
 もう、本当に勘弁して……


 隣のベッドに座っていた由良先輩が、ふと思い出したように私に話しかけた。
「そうだ、せっちゃん」
「私にそっちの気はありませんよ」
「いや、そうじゃなくて」
 彼女は手のひらを振って、否定する。
「今日、部活あるんだけどさ。……体調、悪かったら無理しなくていいぜ?」
 ああ、そのことか。
 それなら、大丈夫だ。
「いえ、大きい声では言えないんですが。……実は仮病なんです」
「なんだ、せっちゃんもサボりなんだ。一緒じゃん!」
「……私がいる前で、なるべくそんな話しないでよー」
 机に座って、何か書き物をしている先生がこっちを見ずに言った。
 あれだよ。
 いい先生なのか、よくわからないよね。
「じゃあ、来てくれるかな?」
 お、これはボケだな。
 乗ってあげなければ。
「いいともー!」
「…………せっちゃんが、そんなボケをかますとは思わなかった。今日はなんだかノリノリだね」
 うわっ、ボケじゃなかったのか!
 え、私一人なんか恥ずかしい! なにこの理不尽現象!?
「まぁいいや。じゃあ、待ってるからねん」
 私が一人赤くなっていると、そう言って由良先輩は去っていった。
 そういえば、彼女はオカルト研究部の部長なのだ。私が毎晩見る『あの夢』のことを彼女に相談してみようか。……と思ったのだが、よく考えたら私も部員か。
 そうだった。いまだに、上手くなじめない。
 『あの夢』の中では、私はオカルト研究部の部員ではなくて、誰か他の人が部員だった。
 私の幼馴染みだった、誰か。
 いまいち思い出せない。
 大切なことだったがするのに、思い出せない。
 『彼』のところだけ、ごっそりと抜け落ちているようで。
 ……いけない。男か女かもあやふやなのに『彼』だなんて。
 まるで。まるで私が……『彼』のことを……
 いや、やめよう。これ以上考えても、どうしようもない。

 所詮は、夢なんだ。




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