悪夢



 ――またこれだ。

 わたしはくらく、ほのかにあかいばしょでめをさます。おきたばかりだからか、あたりはぼやけて、よくみえない。

 わたしは暗く、ほのかにあかいばしょで目をさます。耳なりのような音が、いやに耳にさわる。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴという、一定の、短い間隔でひびく音。まるで流れおちる滝のような、そんな音。 

 わたしは暗く、ほのかに赤いばしょで目を覚ます。相も変わらず、音は止んでいない。わたしは自分が裸でいることに気がついた。寒くはない。心地のよいくらいの温度。だが、自由ではなかった。わたしは何かに囚われているということに気がついた。

 わたしは暗く、ほのかに赤い場所で目を覚ます。冷静な頭で考える。わたしは今、何処にいるのだろう。微かに見えやすくなった目で、辺りを探る。どうやら、何か壁に覆われたところに閉じ込められているらしい。わたしは試しに、その壁を蹴ってみたが、当然びくともせず、柔らかいような硬いような、中途半端な感触が返って来ただけだった。

 わたしは暗く、仄かに赤い場所で目を覚ます。よく目を凝らすと、壁の一部は強固ながらに薄い半透明になっていることに気がついた。その壁の向こうには、わたしにとてもそっくりな女の子が眠っていた。わたしは彼に気づいてもらおうと、一生懸命に壁を蹴ったが、彼は目を覚まさなかった。

 わたしは暗く、仄かに赤い場所で目を覚ます。いつものように壁の向こう側の女の子を眺めていると、あることに気づいた。彼は、首に紐状のものが巻かれていたのだ。まさか――と思い、わたしは壁を蹴り続ける。しかし、彼は目を覚ますこともなく、そのまぶたを閉じたまま、動かなかった。

 わたしは暗く、仄かに赤い場所で目を覚ます。突然、空が割れた。わたしはその眩しさに、目を細めた。裂けた空から、巨大なものがゆっくりと降りてきた。――それは刃だ。鈍色の大きな刃が突然、振り降りてきた。壁を切り裂き、そしてそれは、目の前の女の子の首を、胴体から切り離した――私は悲鳴を上げたかったが、声にならない。

 わたしは暗く、仄かに赤い場所で目を覚ます。――そこに残されたのはわたしと、透明の壁に隔てられた向こう側の、切断された女の子と、その首だけだった。わたしは恐怖でうずくまって、それを眺めているしかできなかった。次はわたしが殺されるのかもしれない。本能的な恐怖で、わたしは空を眺めるのを極力避けた。

 わたしは暗く、仄かに赤い場所で目を覚ます。いや違う。赤かった場所は眩しいほどの光が指し、わたしはなぜだか『助かった』と思った。だが――だがしかし、言葉にはならなかった。助けられたわたしと、目の前で惨殺された女の子。それを思うと、わたしは小さな手をきつく握って、泣きじゃくることしか出来なかった。



 ……また例の、歪な、不合理で不条理な夢だった。
 寝起きの頭で、わたしは幼い頃を思い出す。
 母と共にお風呂に入ったときの思い出だ。彼女の腹部にあった、引き攣れのような傷跡。わたしはそれが何であるか訊くことはなかったが、なんとなく何だかわかっていた。否――わかっていたからこそ、尋ねなかったといえるかも知れない。
「うなされていたみたいだけど、大丈夫?」
 母はそういって、私の顔を覗きこんでくる。見たくなかった。私は「大丈夫です」と短く応え、暗に出て行って欲しい旨を伝えた。
 母の出ていった扉を見つめる。誰もいない白を基調とした、健康そうな――それでいて病的な――部屋。わたしの寝室。
『優ちゃん……』
 わたしの寝てるベッドの横に、わたしが立っていた。
『優ちゃん……』
 わたしの着ている服は……わたしが昔着ていた、幼い頃に着ていた、アリスのようなエプロンドレス。その色違いだ。わたしがブルーで、わたしがレッド。
『優ちゃん……』
 わたしが、わたしの名前を呼ぶ。
 うるさい。わたしは耳を押さえて、強く目をつぶる。そこにいるわたしは、わたしじゃない。彼女は……名前のない……いや、名前の付けられなかった彼女は……わたしは……
 ……まぶたを開くと、やはり部屋にはわたししかいない。
 ふう、と溜息をつき、ベッドのサイドチェストを引き出す。
 よく研がれた、鈍色の包丁が覗く。黒い持ち手をつかみ、眺める。刃には、わたしが映っていた。これはいったい、どちらのわたしだろう。
 ……サイドチェストに包丁を放り投げ、わたしは自分のお腹を撫でる。お腹の中には、二つの命が宿っている。一卵性双生児だ。
 わたしは、薄く微笑んだ。


<了>



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