7.事情


「あんたにはわたしの事情なんかわかんないでしょう!」
 そういって綾姫は部屋から出ていった。紫藤は頭をかきながら、出てゆく綾姫の後ろ姿を見送るほかなかった。
 紫藤は真っ暗な部屋の中で、当然だよな、とひとりごちる。自分は当然、綾姫の事情を知らない。事情どころか、綾姫という少女がどこの誰なのか、年齢も知らない。『綾姫』という名前が本名かすらもだ。
 部屋の中を目を凝らし見回す。自分の財布はもちろん、しっかりとテーブルの上の五万円も持っていったようだ。
 紫藤はサイドテーブルに置いていたキャスターを掴む。一つくわえ、火をつける。
 紫藤は煙を吐き出しながら思う。綾姫と名乗った少女がどうなろうと知ったことではない。綾姫は自分とは関係のない――せいぜい、あった、程度の人間である。綾姫の事情なんか、知らない。


 翌朝、戯れにつけたテレビのニュース番組で、ふたたび彼女の名前を聞いた。二十歳だった彼女は、三十三歳の恋人を包丁で滅多刺しにしたらしい。借金だとか、浮気がという言葉が聞こえてきたが、紫藤は「本名だったのか」としか思わなかった。リモコンでテレビのスイッチを切る。
 紫藤には彼女の事情など、本当にどうでもよかった。

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